生活者でありたい

急に暖かくなり、新芽があちこちで芽吹いています。
我が家の庭の甘夏も新芽が出てきたので、子ども達が協力して収穫してくれました。
ひょいひょいと木に登り、トランポリンやバケツを使って
収穫した実をカゴに収めていく姿を見て、子ども達が普段から遊びで鍛えている力を感じました。

学校たねの木は、お陰さまで4年目を迎えました。
長男が小学校に行きたくないと主張したことから始めた場は
生活を中心に置き、子どもも大人も生活時間を通して
学び、育ち合っていくことを大事にしてきました。

「学校」という冠は、公立の学校に何かしらの理由で行けない子ども達も
「学校に通っているよ!」と胸を張って言ってもらいたいという願いと
「学校とは何か」という問い直しができたらという思いでつけました。
ですが、その冠があるゆえに「学校なのだから、これがないと、こうしないと」という発想が生まれやすくなり、理念がみえずらくなり、どこに向かっているのかがわからなくなる時期がありました。

心に浮かぶことをノートに記す日々を過ごし
最後に出てきた言葉は「私は生活者でありたい」という願いでした。

私は家族と共に過ごす生活を一番大事にして
余りある時間で生活を分かち合う場を開いていたい。
家族や仲間とわいわいと、ワクワクすることに手足を動かし
怒って、泣いて、笑って過ごしたい。
生きていることの喜びと楽しさが背中を通して子ども達に伝わっていく場を開いていたいという
4年前に抱いていた気持ちに再会できました。


学校たねの木は、「生活 たねの木」として再出発します。
理念や大切にすることは変わりませんが、少し変化もあります。
(ホームページも少しずつ変更していきます。)

暖かくなり、過ごしやすくなってきたので
よかったらたねの木に遊びにきてください。